下院議員から上院議員へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 14:37 UTC 版)
「ジョン・シャーマン (政治家)」の記事における「下院議員から上院議員へ」の解説
1848年、シャーマンはホイッグ党の党大会で代表を務め、ザカリー・テイラーを大統領候補として支持した。シャーマンは1852年にも党大会で代表となり、ウィンフィールド・スコットを大統領候補として支持した。 1853年にホイッグ党が解体すると、シャーマンは共和党の結党に参加し、翌1854年に共和党から連邦政府の下院議員に選出された。シャーマンは1860年まで4期連続で下院議員を務め、3期目の第36回連邦議会では下院歳入委員会の議長を務めた。その後1861年にサーモン・チェイスの辞任によって空席となった上院議員の議席を獲得した。 シャーマンは第38回および第39回の連邦議会で上院農業委員会の議長を務めた。また第38回、第40回、第41回、第42回、第43回、第44回の連邦議会では上院財政委員会の議長を務めた。 シャーマンは連邦議会において、サーモン・チェイス財務長官の国法銀行システム立案に協力した。また南北戦争によって発生したインフレーションを抑制するため、銀行政策の監視にも当たった。そしてシャーマンは、安定した事業のために金本位制を支持する保守主義者と、豊富な紙幣をもとに開発を継続したい拡張主義者との仲介に当たった
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