上香西氏とは? わかりやすく解説

上香西氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 08:41 UTC 版)

香西氏」の記事における「上香西氏」の解説

元直の子香西元長は、勝元の子管領細川政元助力を得、明応6年1497年)には山城守護代となった。元長は細川政元養子・澄之(九条家)・高国野州家)・澄元(阿波細川家)のうち澄之に属し永正4年1507年)に元長は、薬師寺長忠竹田孫七らと図り細川政元謀殺し、澄元及び三好之長らの澄元派を京から一掃して11代将軍・足利義澄に細川家後嗣として澄之を認めさせた(永正の錯乱)。しかし、その直後、澄元を支援した細川高国・尚春(淡路守護家)によって、細川澄之香西元長らは京で討たれた。 更に細川澄元三好之長は、讃岐において植田三家十河氏図り香西氏寒川氏らを攻めたが、周防雄・大内義興に擁立された10代将軍足利義稙上洛開始し、これに香西氏だけでなく香川氏応じ、更に細川高国寝返ったため、細川澄元三好之長讃岐及び畿内において勢力失った。 元長の跡を継いだ香西元盛は、波多野清秀丹波の子であり、管領細川高国仕えたが、大永6年1526年)、讒言により自害させられた。これに憤った元盛の兄弟波多野元清柳本賢治細川澄元の子晴元通じ高国に対して反旗を翻したため、高国政権崩壊した桂川原の戦い)。 元盛の跡を継いだ香西元成越後守)は丹波国拠点として、管領・細川晴元仕え三好政勝と共に三好長慶抗したが、永禄3年1560年)、炭山城(山城)で戦死した。 上香西氏の名跡継いだ香西長信越後守)は、元亀元年1570年)、野田福島摂津国)に籠もって織田信長対抗するが、三好政勝と共に投降した野田・福島の戦い)。その後離反し天正3年1575年)に新堀城摂津)に籠城する敗れ斬首された(高屋城の戦い)。

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