上野村長に就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 00:52 UTC 版)
黒沢は九州で戦後処理にあたり、10月8日からは前橋人事部員に転任となって、地元・群馬県での復員業務についた。10月31日に大日本帝国海軍が解体した後も「第二復員省の復員官」として、同様の業務についた。第二復員省を退官し、地元・上野村に帰ったのは、1946年(昭和21年)9月だった。 上野村に戻った黒沢は、公職追放となり、村人から戦犯呼ばわりされ、扱いは冷たかった。当初は妻子を前橋に残して、一人で農民生活を始めた。1955年(昭和30年)、群馬県議会議員選挙に立候補したが、落選。 しかし、この選挙以降、周りの人たちの相談を受けるようになり、1965年(昭和40年)6月14日に上野村村長となった。しかし黒沢は村長就任早々、複数の問題に直面した。それは丼勘定による村財政の赤字であり、相次いで村外で起こった村人の犯罪行為であり、急激な過疎化であった。黒沢は村人の不評を買いながらも緊縮財政を押し通し、道徳教育に力を入れた。産業振興にも力を入れ、イノブタ畜産・味噌造り・木工業などを次々に起こした。
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