上野から井の頭へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 09:27 UTC 版)
翌1950年から、「はな子」と「インディラ」は移動動物園で日本各地を訪れた。「インディラ」が列車等で全国を回ったのに対して、子ゾウだった「はな子」は都内を中心に東京近郊を回った。その中には井の頭自然文化園も含まれていたが、そこで「はな子」を見た武蔵野市や三鷹市から、井の頭自然文化園での「はな子」の展示を求める声が上がった。 1954年3月5日、「はな子」は上野動物園から井の頭自然文化園に移された。しかし、1956年6月14日の早朝、ゾウ舎に侵入した男性を死亡させる事故を起こし(後述)、さらに4年後の1960年にも飼育員を踏み殺す事故を起こした。このため、「殺人ゾウ」の烙印を押され処分を迫られた「はな子」は、鎖につながれ来園客から石を投げられたこともあり、ストレスなどからやせ細った。 事故の2か月後に井の頭自然文化園に赴任し、「はな子」の飼育係となった山川清蔵は、「はな子」を鎖から外し、運動場に出した。山川は退職までの約30年にわたって「はな子」の世話をし、その様子は、書籍やテレビドラマにもなった。
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