上野と三宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 09:50 UTC 版)
同じくFMWで活躍した上野とは幼なじみである。中学生のとき、2人で両国国技館まで新日本プロレスを観に行き、入門を直訴する為に山本小鉄の出待ちをしたが、山本の乗った白いキャデラックを見失ってしまい、入門を断念する。 その後、大仁田がFMWを旗揚げするという話を聞き、新日本プロレス志望の為、同行するのを渋っていた上野を強引に誘い、FMWのオーデションを受けるが、二人ともオーデションに落ちるも結果に納得がいかず大仁田に直談判し、共に練習生として入門している。 上野と三宅は、三宅がFMWを退団した後、両者の交流は無く対戦することも無かったが、1997年7月6日、両国国技館で行われた「WAR」の『革命陽上・5 THE OPEN』にて、「三宅綾VS超電戦士バトレンジャー(上野)」の一騎討ちの試合が組まれ、中学の時、2人で観に行った両国のリングで対戦が実現した(結果は7分50秒タイガー・ドライバーで三宅の勝利)。三宅曰く「お互いガチガチに緊張して試合自体は塩(しょっぱい内容)だったと思う」と語っている。
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