上野幸秀と三宅綾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 15:22 UTC 版)
同じくFMWで活躍した三宅とは幼なじみ。中学生のとき、2人で両国国技館まで新日本プロレスを観に行き、入門を直訴する為に山本小鉄の出待ちをしたが、山本の乗った白いキャデラックを見失ってしまい、入門を断念する。 その後、三宅が全日本プロレスでリングスタッフとして興行に同行していた際、当時、全日本プロレスのリングアナであった仲田龍から大仁田厚がFMWを旗揚げするという話を聞き、新日本プロレス志望の為、同行するのを渋っていた上野を強引に誘い、FMWのオーデションを受けるが、二人ともオーデションに落ちるも結果に納得がいかず大仁田に直談判し、共に練習生として入門している。 三宅は覆面レスラー「ザ・シューター2号」としてデビューしているが、そのデビュー戦の相手が上野である。 上野と三宅は、三宅がFMWを退団した後、両者の交流は無く対戦することも無かったが1997年7月6日、両国国技館で行われた「WAR」の『革命陽上・5 THE OPEN』にて「三宅綾VS超電戦士バトレンジャー(上野)」の一騎討ちの試合が組まれて中学の時、2人で観に行った両国のリングで対戦が実現(結果は7分50秒からタイガードライバーで三宅の勝利)。三宅曰く「お互いガチガチに緊張して試合自体は塩(しょっぱい内容)だったと思う」と語っている。
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