上海総商会会長へとは? わかりやすく解説

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上海総商会会長へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/12 00:14 UTC 版)

虞洽卿」の記事における「上海総商会会長へ」の解説

辛亥革命勃発直前に、虞洽卿上海中国同盟会指導者である陳其美資金援助等を施した上海革命派占拠した後に上海都督府成立すると、虞は首席顧問官外交次長等の要職に就いている。中華民国成立後当初の虞は袁世凱支持し第二革命二次革命に際して浙江都督朱瑞に対して反袁に参与しないようにとの電報発した。しかし袁が皇帝即位を図ると、虞はこれに反発し護国戦争では護国軍を支援している。 実業面では、1914年民国3年)から汽船会社として新たに三北輪埠公司設立し、寧紹・安の2つ汽船会社合わせて引き続き航運業界第一人者としての声望維持した1920年民国9年)、虞洽卿上海証券物品交易所創設参加し、虞が理事長当選した同年4月全国工商協会でも会長当選し1924年民国13年)には上海商会会長にも選出された。1925年民国14年2月には、臨時執政段祺瑞から淞滬商埠会弁(督弁は孫宝琦)に任ぜられている。 1925年民国14年)に五・三〇事件(五卅惨案)が発生すると、虞洽卿段祺瑞の命によりデモ隊との交渉赴くため、6月3日上海へ戻った。虞は総商会会長として「五卅事件委員会」を設置、自ら委員長となってデモ側の工商聯合会と交渉行っている。また諸外国介入に対しては、虞は工商聯合会同様に反発示し英国日本など外国製不買などを支持したその後、虞はデモ側から権利保障要望認めた上で学業職場復帰促し9月初めにデモ隊学業職場復帰進んでいくことになる。

※この「上海総商会会長へ」の解説は、「虞洽卿」の解説の一部です。
「上海総商会会長へ」を含む「虞洽卿」の記事については、「虞洽卿」の概要を参照ください。

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