三韓〜馬韓・辰韓・弁韓(0〜346年)
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「日本統治時代の朝鮮」の記事における「三韓〜馬韓・辰韓・弁韓(0〜346年)」の解説
朝鮮半島北方が中国により統治・侵略を繰り返されていた時代、南方にもいくつかの国があった。それらは、その時々の中国王朝に朝貢しつつも韓族の統治が続いていた。 特に馬韓は後の百済に相当する地域を治め、その国は54を数えた。また弁辰は合わせて24カ国であったという。(三国魏志東夷伝) 同時代の口数の推計は、『三国遺事』2巻 駕洛國記の「百姓凡一百戸。七万五千人」から「凡一百戸」を「九千百戸」の誤写として口数を一戸8.2人とする説がある。また7世紀(百済滅亡時)までの700年で同地域であった馬韓54万戸から百済76万戸に増えたと捉え、かつ同時代の口数を前述の一戸8.2人として、年0.058の人口増加率を求めた場合、1906年の人口から逆算する三韓時代の朝鮮半島の全人口は、482万人。
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