三雲祥之助とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 画家 > 日本の画家 > 三雲祥之助の意味・解説 

三雲祥之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 09:31 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
妻・小川マリとともに(1955年)

三雲 祥之助(みくも しょうのすけ、1902年7月19日1982年8月19日)は、京都市上京区出身の洋画家春陽会会員、武蔵野美術大学教授、武蔵野美術学園学園長を歴任。

来歴

1923年京都帝国大学文学部史学科中退。中学の同級生だった批評家田近憲三の誘いで渡仏し、パリ仏文学者小松清と知り合って油絵を描き始める。アカデミー・コラロッシに通い、シャルル・ゲランに師事。1926年サロン・ドートンヌに初入選。1935年に帰国後、春陽会へ出品。1943年に春陽会会員となる。太平洋戦争中は札幌市に疎開し、終戦直後に小川マリと結婚。全道美術協会(全道展)の創立に参画したほか、夫婦で札幌洋画研究所の講師も務めた。その後東京に移り、日本大学芸術科講師、武蔵野美術大学教授を歴任[1]

戦前は印象派風の風景画を描いたが、戦後は球体を形象化した作風に転換。評論活動も行い、モダニズム作家の旗手と目された[2]

1983年、武蔵野美術大学に三雲奨学基金、三雲記念賞が制定された。最期まですごした武蔵野市のアトリエ兼住居は、2005年、夫人小川マリの死後、学校法人武蔵野美術大学に寄贈された。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 三雲祥之助 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2021年2月18日閲覧。
  2. ^ 三雲祥之助 : 作家データ&作品一覧 | 収蔵品データベース | 練馬区立美術館” (日本語). 練馬区立美術館 - 収蔵品データベース. 2021年2月18日閲覧。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三雲祥之助」の関連用語

三雲祥之助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三雲祥之助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三雲祥之助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS