三雲賢持
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/18 07:22 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 永禄9年(1566年) |
別名 | 通称:新左衛門尉 |
主君 | 六角義賢 |
氏族 | 有道氏流三雲氏 |
父母 | 父:三雲定持 |
兄弟 | 賢持、成持、三郎左衛門 |
子 | 賢春 |
三雲 賢持(みくも かたもち)は、戦国時代の武将。六角氏の家臣。
略歴
六角氏の宿老・三雲定持の嫡男として誕生。
永禄9年(1566年)、観音寺騒動の影響で六角義治に不信を抱き浅井長政に通じて、謀反を起こした布施公雄が籠城する布施山城を攻める。同年、佐和山城周辺における浅井氏との戦で討ち死を遂げた。家督は、弟・成持が継いだ。
参考文献
- 森井春太郎 編 『甲賀郡誌』伏木文三郎、1899年4月。 NCID BB14315860。
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