三輪氏と対外政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 14:15 UTC 版)
三輪氏やその一族は、古くから対外政策に携わってきた。それは、以下の伝承から確認できる。 垂仁天皇3年3月に天日槍が来朝した際に、三輪君の祖の大三輪大友主が遣わされた。 神功皇后の三韓征伐の際に筑紫国に大己貴神社が祀られた。 神功皇后の新羅征伐の際に従軍した大矢田宿禰は大三輪真鳥という人物であったとする伝説が存在する。 孝徳天皇期以前に三輪栗隈君東人が任那と百済の国境を視察した。 天武天皇13年5月28日に三輪引田君難波麻呂が高句麗に遣わされた。 大化5年(649年)5月に三輪君色夫が新羅に派遣されている。 天智天皇2年(663年)3月に三輪君根麻呂が新羅征討の中将軍に任命され、それに粟鹿神社祭主の神部根マロも従軍している。 また、三輪引田君氏の本拠地である秉田神社(大和国木上郡引田郷)から初瀬川を挟んだ対岸には狛という地名があること、『新撰姓氏録』には「狛人野 大物主命子櫛日方命之後也」「神人 高麗国人許利都之後也」と見えること、三輪氏は陶邑の須恵器を作成する工人を配下に置き、そこで作られた須恵器を用いて三輪山で祭祀を行っていたことなどからも、三輪氏と朝鮮半島の関係は深かったことが推察できる。
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