大矢田宿禰とは? わかりやすく解説

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大矢田宿禰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/30 03:18 UTC 版)

 
大矢田宿禰命
歌川国芳『日本百将伝』より「大矢田宿祢」
時代 古墳時代
生誕 不明
死没 不明
別名 大矢田宿禰
主君 神功皇后
氏族 和珥臣同族、真野臣祖
父母 父:建振熊命[1]
兄弟 米餅搗大臣命[1]
新羅王猶榻の女[1]
佐久命[1]、武義命[1]
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大矢田宿禰(おおやたのすくね、生没年不詳)は、古墳時代豪族

概要

孝昭天皇の4彦国葺命の孫であり、建振熊命の子であるとされる。

新撰姓氏録』によると、神功皇后三韓征伐に従って新羅討ったとされる。その後は新羅に留まり、鎮守将軍となって、新羅王猶榻の女を娶り、佐久命と武義命という兄弟もうけた

佐久命の9世孫の和珥部臣鳥や務大肆・忍勝は来日し、近江国志賀郡真野村居住したため、天智天皇庚寅年(670年)に真野臣を名乗ったという[2]

なお、浅間大社社家の富士氏に伝来した系図によれば、前述の和珥部臣鳥は真野臣を名乗らず、その曾孫の外正六位下富士郡大領・和邇部富麿が富士氏の祖となったという[1]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f 「別編 系図 三 富士大宮司(和邇部臣)系図」『静岡県史 資料編4 古代』、1989年、1106頁。
  2. ^ 新撰姓氏録』天足彦国押人命三世孫彦國葺命之後也。男大口納命。男難波宿禰。男 大矢田宿禰。従氣長足姫皇尊贈神功。征伐新羅。凱旋之日。便留為鎮守将軍。干時娶彼國王猶榻之女。生二男。二男兄佐久命。次武義命。佐久命九世孫和珥部臣鳥。務大肆忍勝等。居住近江國志賀郡眞野村。庚寅年負眞野臣姓也

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