三甚内
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:27 UTC 版)
詳細は「庄司甚右衛門」および「鳶沢甚内」を参照 文化13年(1816年)頃に成立した十方庵『遊歴雑記』第3編 は、幸坂(向崎)甚内を盗賊出身で江戸で有名になった「日本三甚内」の1人として紹介した。他の2人は、忍術と大力で日本中から人を探し集め、駿府の遊女屋を江戸へ移して新吉原を起した庄司甚内と、剣術・柔術・早業を極め、大久保忠度によって死罪を許されて、横目をしながら富沢町で古着商を営んだ鳶沢甚内とされた。 庄司甚内や鳶沢甚内は、1920年-1923年の矢田挿雲『江戸から東京へ』 や1928年の三田村鳶魚「慶長前後の泥坊」 の中で、小田原北条氏に仕えていた忍術使いとみなされるようになった。
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