三宝の音楽哲学(本人によるコメント)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 17:47 UTC 版)
「三宝 (作曲家)」の記事における「三宝の音楽哲学(本人によるコメント)」の解説
僕は少年時代に、いま思い出しても大変興奮する一つの出来事がある。それは、母が僕の為に一つ、八分の一スケールのバイオリンを買ってくれたこと。僕は未熟な弾き方でそのバイオリンを使い、それまで自分が知っているメロディを全部弾いてみた。今にして思えば、それが僕の音楽人生のきっかけになったような気がする。またその後、夜一人で家で留守番をしていたとき、父母が大事にしまいこんでいたLPレコードを取り出して、初めて自分でかけて流れてくる音を聞いた途端、僕は淡いブルーの色に押し寄せられる感覚があり、そしてその色がどんどん広がっていく感じがした。その瞬間に、僕は音楽には色がついていることを悟った。僕の音楽創作は自由で、形に捉われない。僕は「音」で世界を感じ取る。僕は書きたい「音」を譜面に並べて、そしてこの「音」たちがそれぞれ違う楽器で奏でる時の「音」を想像し、口で言い表せないほどの快感を味わうのだ。いい音楽には呼吸、驚嘆、形、そして色彩がある。「音楽」それ自体に生命が宿っているのだ。
※この「三宝の音楽哲学(本人によるコメント)」の解説は、「三宝 (作曲家)」の解説の一部です。
「三宝の音楽哲学(本人によるコメント)」を含む「三宝 (作曲家)」の記事については、「三宝 (作曲家)」の概要を参照ください。
- 三宝の音楽哲学のページへのリンク