三増峠の戦い
(三増合戦 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 04:42 UTC 版)
三増峠の戦い(みませとうげのたたかい)とは、永禄12年(1569年)10月8日[1]に武田信玄と北条氏により行われた合戦である。本項では、合戦に至るまでの経緯として、小田原城包囲戦も合わせて解説する。駿河侵攻の二正面作戦の一つとも言える。
- ^ a b 『甲陽軍鑑』より。『北条五代記』では戦闘は10月6日にあったとされる。
- ^ 『戦国遺文後北条氏編』-1151号
- ^ 『甲陽軍鑑』より。武田信玄書状では6000〜7000。
- ^ 『甲陽軍鑑』より。北条方の軍記である『豆相記』でも同様の記述が見られる。
- ^ 植木知司『かながわの山』(神奈川新聞社)P103
- ^ ただしトウモロコシの日本伝来時期の研究とは矛盾する
- ^ 山吉文書、山吉孫次郎宛北条氏照書状
- ^ 豊前氏古文書
- ^ 森山八郎氏所蔵文書『上越史』別編1-780
- ^ 池享・矢田俊文『上杉氏年表(増補改訂版)』(高志書院、2013年)P136
- ^ 平山優『武田信玄』(吉川弘文館)P68
- ^ 山口博『北条氏康と東国の戦国世界』(夢工房、2005年)pp105-110
- ^ 平山優『武田信玄』(吉川弘文館)P70
- 1 三増峠の戦いとは
- 2 三増峠の戦いの概要
- 3 合戦の経緯
- 4 合戦の評価
- 5 参戦武将
固有名詞の分類
- 三増峠の戦いのページへのリンク