万歳の弔電
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 05:10 UTC 版)
明治天皇崩御に伴い乃木夫妻が殉死した際、何千もの弔電が届く中1通だけ異様な文章があった。 「ノギタイシヤウカクカゴフウフ、ジユンシトハ、サスガノギタイシヤウカクカナリ、コノナンテンボウモ、ナミダナガラナニ、バンザイトノウ、バンザイ、バンザイ」 (乃木大将閣下ご夫婦、殉死とは、さすが乃木大将閣下なり、この南天棒も、涙ながらに、万歳とのう、万歳、万歳) 鄧州はこの祝電めいた電報を後に、「ワシが涙ながらに万歳万歳云うてやった意志は、大将自身でなくては解らぬ。彼とワシとは実に證契即通であったからなァ」と振り返っている。乃木の葬儀は神式で執り行われたが、鄧州は弟子を伴い参列。僧侶の参列は鄧州一行のみであった。乃木が自刃した部屋に敷かれた絨毯はかつて鄧州が乃木に紹介した寺西幾久松(後に国産リノリウムを生産し、東リ創業者となる寺西福吉の兄)の手による由多加織で、葬儀の後遺族から鄧州に形見分けとして乃木の墨跡と軍帽が贈られた。鄧州はその軍帽を寺西に託した。
※この「万歳の弔電」の解説は、「中原鄧州」の解説の一部です。
「万歳の弔電」を含む「中原鄧州」の記事については、「中原鄧州」の概要を参照ください。
- 万歳の弔電のページへのリンク