万暦、天啓、崇禎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)
嘉靖と万暦に挟まれた隆慶は6年間しか続かなかったため、隆慶の年款銘を有する作品は少なく、作風は嘉靖のものと大差がない。万暦年間(1573 - 1620年)には嘉靖期に引き続き、民窯への委託によって大量の製品を焼成していた。万暦期の五彩には、緑などの寒色を主調にした落ち着いた作風のものと、繁雑な文様で器全面を埋め尽くした粗放で装飾過剰な作風のものとがあり、前者は万暦前期、後者は万暦後期の作品と考えられている。後者は、日本で「万暦赤絵」と称されて殊に珍重されたものである。「万暦赤絵」の文様は繁雑で繰り返しの多いものとなり、民窯風の活力はあるが、器形や文様には崩れがみられる。たとえば、文様中の鳳凰の5本の尾を機械的に5色に塗り分けるなど、大量生産、分業による製作を反映した作調がみられる。器形は多角形の面盆(洗顔用の平たい盆)、古銅器の「尊」の形を模した尊形瓶などが典型的なものであり、筆合(筆箱)、筆管、硯屏など、従来の磁器にはみられなかった器種もある。万暦帝の没後は官窯が廃止され、続く天啓(1621 - 1627年)、崇禎(1628 - 1644年)期の景徳鎮は文字通り民窯一色となった。
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