七〇三空
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1942年(昭和17年)11月1日、「第七〇三海軍航空隊」に改称。11月16日、陸攻隊に内地帰還命令、22日までに全8機が木更津着。同年12月1日、戦闘機隊が解散され、要員・機材は第七五二海軍航空隊の戦闘機隊と統合のうえ第二〇一海軍航空隊がマーシャルで編成された。 12月2日、全8機が千歳着、人員も19日千歳着。昭和18年(1943年)3月15日、解隊。千歳飛行場には隣接して第41空廠も建設されており、千島列島方面の哨戒任務に従事した各種航空隊にとって重要な補給基地として、また疎開してきた教育航空隊の訓練場として終戦まで活用された。戦後は米軍が進駐し、1951年(昭和26年)からは日本航空東京線の乗り入れが開始された。1957年(昭和32年)より米軍から航空自衛隊に所有権が移り、1988年(昭和63年)に新千歳空港が開業するまで、北海道の空の玄関口として、また、対ソ最前線の警戒基地としての二面性で広く知られていた。
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