一銭職分由緒書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/08 07:11 UTC 版)
一銭職分由緒書は江戸時代から各地に伝えられている史料。この史料に「三男・采女亮政之とともに- (中略) - 下関に居を構え、髪結業を営み- (中略) - これが髪結職の始めなり」とあり、采女亮が理美容業の祖と言われる根拠となっている。また、采女亮の子孫は代々髪結を業としていた。徳川家康が武田信玄の勢に押され敗退の際、17代目北小路藤七郎が天竜川を渡る手助けをしたことから褒美と銀銭一銭を賜り一銭職と呼ばれるようになった(なお理美容業の定休日が17日だったのは家康の命日が4月17日であるためという説もある)。その後「御用髪結」を務め、21代幸次郎の時に江戸髪結株仲間(組合)を申請した。史料は亀山天皇時代の出来事から書き始められ、吉宗や大岡越前も登場する。
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