一瞬やかたちをすれば白椿
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
春 |
出 典 |
睡蓮宮 |
前 書 |
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評 言 |
この句の初出は「一瞬をかたちにすれば白椿」であった。その後推敲の末、第二句集『睡蓮宮』には掲句「一瞬やかたちをすれば白椿」になった。初出の句を最後に同人誌『山河』を退会した氏と入れ違いに筆者は『山河』に入会。その際見本誌として頂いた最新号の巻頭の一句がこの句であり、その印象は強烈であった。 第二句集『睡蓮宮』には、当時すでに人口に膾炙していた「ひばりよひばりワイングラスを毀してよ」の句がある。句集唯一の白眉をあげるとすればこの句になろう。が、筆者にとっては出会いの衝撃度のせいか、掲句の方に魅かれる。初出時の「一瞬をかたちにすれば白椿」は一句一章であり、句集中の「一瞬やかたちをすれば白椿」は二句一章になる。どちらがベストか、いまだに作者をさしおいて勝手に論議の対象にされる。俳句的には切れの入った掲句の方が支持されるが、意味的には改稿前の方に賛意が集まる。無論筆者は掲句の方に共感する。しかし、最初に見たのが親だと思う情がらみになると、その限りではなくなるのも事実だ。句会などで時折話題にすると、一概には言えないが、切れの機能と効果を熟知している俳人ほど掲句を良しとするようだ。 「や」の切れ字を入れた場合、一瞬という一つの別空間が生じ、それとは別に、何かの形をイメージするなら白椿、という読みになる。つまり一瞬と白椿は別次元の存在となり、その出会いの衝撃により読み手に白椿の来し方、形状など、自由なイメージを想起させようとする意図が見えてくる。おそらく氏は、切れという知的操作をすることで、俳句形式の内包する詩的空間を最大限に生かし、一句にさらなる深度のあるベクトルを注入。一句一章で下五白椿に一気に集約する、単純な意味的構造を良しとしなかったのだろう。俳句は切れである。 推敲の妙味を思わせる秀句と言えよう。 撮影:フォト蔵/がんちゃん |
評 者 |
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備 考 |
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