ヴォーデモン家とギーズ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 02:28 UTC 版)
「ロレーヌ家」の記事における「ヴォーデモン家とギーズ家」の解説
1453年から1473年にかけての間に、公国はシゃルル2世の娘イザベルの権利から、その夫であるヴァロワ=アンジュー家のルネ・ダンジューに渡った。後にシャトノワ=ロレーヌ家の分家であるヴォーデモン家出身のルネ2世のもとに戻り、ルネ2世は外祖父であるルネ・ダンジューが保持していたバル公位も継承した。ルネ2世の長男アントワーヌはロレーヌを継承、次男のクロードはフランス王フランソワ1世からギーズ公に叙爵されギーズ家を興した。 ユグノー戦争中はヴォーデモン家の分枝であるギーズ家の台頭が目立ち、この一門はフランスの政治に力を及ぼし、フランス国王アンリ3世治世下の後期ではフランス王位継承にも迫った。アンリ3世の兄フランソワ2世の王妃でもあったスコットランド女王メアリー・ステュアートの母であるメアリー・オブ・ギーズはギーズ公クロードの長女であった。 ブルボン朝下ではギーズ家は1688年に本流が断絶、分家はエルブフ公として存続し、フランスにおける高位の貴族の一つとして生き残ったが、一方のヴォーデモン家はロレーヌ公及びバル公として独立を維持した。しかし、ルイ14世の帝国主義的な野心(1669年から1697年にかけてのロレーヌ占領も含まれる)は、ロレーヌ公とハプスブルク家の神聖ローマ皇帝との永続的な同盟を余儀なくさせた。
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