ワールド紙に入社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 04:16 UTC 版)
当時のニューヨークでは、タイムズ、トリビューン、サン、ワールド(ニューヨーク・ワールド)、テレグラム(ニューヨーク・ワールド・テレグラム)の5大新聞社があった。ニューヨークに着いたブライは、ピッツバーグ時代に得たつてを頼りに各社を回ったが、相手にされなかった。その間はフリーランスの記者としてディスパッチ紙にニューヨークの記事を書いて食いつないでいたが、貯金は減る一方だった。ブライは一計を案じ、ディスパッチ紙のニューヨーク特派員を名乗って、新聞社での女性の活用法について各紙の編集長やデスクに話を聞くことにした。しかし、取材に応じた会社からの返答はいずれも、「女性は役に立たない」というものであった。さらに、全財産の入った財布をすられてしまった。 ブライは最終手段として、ワールド紙の本社に乗り込み、自分を採用するよう直談判することにした。特ダネがあるなどと言って編集局長ジョン・コクリルとの面談を半ば強引に取り付けたブライは、コクリルに会うと、自分の実績や、今後書きたい記事を説明した。今後書きたい記事としては、欧州からアメリカに向かう船の三等船室に乗船して乗客である移民の実態を探る案、精神病棟に病人を装って潜入し病棟の様子を記事にする案などを出した。 ブライに興味を持ったコクリルは、ブライにとりあえず25ドルを渡したうえで帰し、社長であるジョーゼフ・ピューリツァーと協議した。ピューリツァーは、乗船による移民取材は不採用としたが、精神病棟の案は採用し、ブライの取材を認めた。
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