ローマのボルゲーゼ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 14:13 UTC 版)
「ボルゲーゼ家」の記事における「ローマのボルゲーゼ家」の解説
16世紀のマルカントニオ (1504~74) の代にローマに移住。そのマルカントニオの子カミッロ (1552-1621) が、教皇パウルス5世に選ばれてからは、隆盛を誇った。 スキピオーネ(シピオーネ)・ボルゲーゼ (1576-1633) は、パウルス5世の甥で、ネポティズム(縁故主義)によって枢機卿に任命された。スキピオーネは1605年にローマの80ヘクタールのブドウ畑にボルゲーゼ公園を建設した。スキピオーネは教皇庁の要職を占めながら、芸術家を保護し、絵画彫刻のコレクションに努めた。スキピオーネは、1608年にティツィアーノ・ヴェチェッリオの『キューピッドに目隠しをするヴィーナス』を取得し、彫刻家ジャン・ロレンツォ・ベルニーニに『アポロンとダフネ』制作を依頼し、1625年にボルゲーゼ公園に展示された。画家グイド・レーニのパトロンでもあった。ボルゲーゼ家の縁故主義は教会の内外から批判され、1692年、教皇インノケンティウス12世によって禁止された。 マルカントニオ2世 (1598-1658) は、カミッロのもう1人の甥で、スペイン王フェリペ3世からスルモナ侯の称号を与えられ,またローマの名門貴族オルシニ家の娘と結婚して広大な領地を得た。 マルカントニオ3世 (60-1729) はナポリ副王の地位を得た。 マルカントニオ4世・ボルゲーゼ (1830~1809) は、美術愛好者として知られる。 マルカントニオ4世の子カミッロ・フィリッポ・ボルゲーゼ (1775~1832) は、ナポレオン1世の妹ポーリーヌ・ボナパルトと結婚し、ナポレオン体制下でピエモンテ総督となった。カミッロ・フィリッポはボルゲーゼ・コレクションを売りに出し、これを入手したルーヴル美術館の所蔵品は充実した。ナポレオンが失脚するとポーリーヌと離婚して隠遁した。 ユニオ・ヴァレリオ・ボルゲーゼ - イタリア海軍軍人、ファシスト。
※この「ローマのボルゲーゼ家」の解説は、「ボルゲーゼ家」の解説の一部です。
「ローマのボルゲーゼ家」を含む「ボルゲーゼ家」の記事については、「ボルゲーゼ家」の概要を参照ください。
- ローマのボルゲーゼ家のページへのリンク