ローマのポンプティヌス地域への拡張(紀元前388年 - 紀元前385年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 15:37 UTC 版)
「ローマ・ウォルスキ戦争」の記事における「ローマのポンプティヌス地域への拡張(紀元前388年 - 紀元前385年)」の解説
現在のラティーノ市の開発のために沼地の排水が行われるまで(1932年)、ラティウムの南東部はポンプティヌス沼地(en)と呼ばれていた。沼地とレピニ山地(en)の間には乾燥した地域があり、「アゲル・ポンプティヌス(ポンプティヌスの土地)」と呼ばれていた。ここが紀元前380年代から紀元前370年代にかけて、ローマとウォルスキの戦いの場となった。
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