ローマによる統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/19 16:02 UTC 版)
紀元前の長い間、ノリクムは自らの君主を擁いた独立国で、ローマとは通商が盛んであった。紀元前106年から紀元前48年のカエサルとポンペイウスとの内戦において、ノリクムは紀元前48年にカエサルに味方した。 紀元前16年、パンノニアと共にローマ帝国のイストリアを侵略したが、イリュリクム属州のプロコンスルであるプブリウス・シリウスに敗れた。この敗戦によってノリクムはローマ帝国に併合され、ノリクム属州と呼ばれるようになった。ただし、公式には属州とする手続きがまだ執られてはおらず、皇帝の属吏(procurator)が管理するものの、ノリクム・レグヌムの称号の君主を擁く君主国ではあった。西暦40年頃、ローマ皇帝カリグラによって、君主国ノリクムは完全にローマ帝国の属州に完全に併合された。ローマ皇帝アントニヌス・ピウスになって、ローマ第2軍団ピア(後にはイタリカと呼ばれる)がノリクムに置かれ、その司令官がこの地を統括するようになった。 ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245年-313年)の時代に、ノリクムは分割され、北部のドナウ川沿いがノリクム・リペンセ(Noricum ripense)とされ、南部の山地側がノリクム・メディタラニアン(Noricum mediterranean)とされた。両方の地域が1人のプラエセス(praeses)に支配され、イタリア統治領(prefecture)のイリュリア教区に属した。 代表的な都市やローマ植民地: ウィルナム (Virunum、現クラーゲンフルトの近くのマリアザール) オヴィラワ (Ovilava、現ヴェルス) セレイア (Celeia、現ツェリェ) ユヴァウム (Juvavum、現ザルツブルク) ローリアクム (Lauriacum、現エンス川河口にあるロルヒ)
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