ローマによる属州化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/31 12:58 UTC 版)
「ゲルマニア・スペリオル」の記事における「ローマによる属州化」の解説
紀元前1世紀にガイウス・ユリウス・カエサルによって書かれたガリア戦記には、この地域についても多く書かれているが、そこに「ゲルマニア・スペリオル」または「ゲルマニア・インフェリオル」という言葉は使われていない。ゲルマニア・スペリオルを支配していたのは、元はケルト人で、そこにアリオウィストゥス率いるゲルマン民族がベザンティイオ(現ブザンソン)を攻略してライン川の北岸に駐留していたが、 紀元前58年にウォセグスの戦いでカエサル率いるローマ軍に敗れた。 ゲルマニア・スペリオルがローマの属州にされたのは、共和政の最後の数年間の頃である。タキトゥスの書いた『年代記』(3.41, 4.73, 13.53)には、 ゲルマニア・スペリオル属州のことが書かれている。
※この「ローマによる属州化」の解説は、「ゲルマニア・スペリオル」の解説の一部です。
「ローマによる属州化」を含む「ゲルマニア・スペリオル」の記事については、「ゲルマニア・スペリオル」の概要を参照ください。
- ローマによる属州化のページへのリンク