ロンメルの評価高まる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:20 UTC 版)
「エルヴィン・ロンメル」の記事における「ロンメルの評価高まる」の解説
ベルリンのヒトラーはロンメルの活躍を高く評価した。ヒトラーは1941年7月1日付けでロンメルを装甲大将に昇進させた。一方ロンドンのチャーチルはウェーヴェルの無能を呪った。チャーチルは6月21日付けでウェーヴェルを中東方面軍司令官から解任し、代わって7月5日付けでクロード・オーキンレック大将を就任させた。 ロンメルは8月6日にローマに赴き、ムッソリーニやイタリア軍参謀総長ウーゴ・カヴァッレーロ元帥と会談し、彼らの同意を得てイタリア軍の「アリエテ」戦車師団と「トリエステ」自動車化師団の指揮を認められた。このイタリア軍二個師団とドイツ・アフリカ軍団でもって「アフリカ装甲集団」が組織され、ロンメルはその司令官に就任した。ドイツ・アフリカ軍団の軍団長の座はルートヴィッヒ・クリューヴェル中将に譲った。 この頃になるとイタリア軍の間でもロンメル人気が高まっていた。グラツィアーニやガリボルディなど自国の無能な将軍の指揮の下で戦うより、有能な外国人将軍ロンメルの指揮の下で戦いたがった。ガリボルディもロンメルの要求を色々認めるようになり、イタリア軍兵士の訓練をドイツ軍将校が行う事も許可された。ドイツ軍将校の指導の下、半年もしないうちに異常に低かったイタリア兵の練度が一気に向上して、イタリア兵たちの間に自分たちも北アフリカ戦の勝利に貢献できるという自信が付き始めた。
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