ロマノスとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 06:05 UTC 版)
テオファノの素性はよく知られていない。「酒を売っている親から生まれた」という記載が年代記にあることから、居酒屋の娘か葡萄酒商人の娘だと解釈されている。本名はアナスタソ(Anastaso)といった。庶民の娘であるテオファノがどういった経緯で皇太子であるロマノスと知り合ったかは不明である。このため様々な空想がなされており、ある歴史小説は、狩りの途中で瀕死の重傷を負ったロマノスがテオファノの父の家に担ぎこまれ、そこでテオファノに介抱されたとしている。また、東ローマ帝国では皇太子妃をコンクールで選ぶことがあったのではないかとされており、テオファノの場合もそれであった可能性もある。956年前後に正式にロマノスと結婚し、その際にテオファノと改名した。 なお、ヨハネス・スキュリツェスの年代記によると、当時はロマノスの父、皇帝コンスタンティノス7世はレカペヌス家から正帝の地位を取り戻して以降、生まれや功績による任官や昇進を嫌がっていたと記している。また、ロマノス2世は婚約していたイタリア王ウーゴの娘が死去した後添えとしてテオファノと婚約した。
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