ロチェスター広場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/10 02:33 UTC 版)
「ロチェスター (ニューハンプシャー州)」の記事における「ロチェスター広場」の解説
1737年、ロチェスターヒルにある会衆派教会ではエイモス・メイン牧師が初代の入植者牧師になった。この建物はロチェスター広場に移された。その広場は広さ250エーカー (1.0 km2) あり、ノルウェー松がたくさんあったのでノルウェー・プレインミル広場と呼ばれていた。当時は現在の中心街となったところまで拡がっていた。1738年までにこの農業町には60家族が住み着いた。今日、彫刻家ジューゼッペ・モレッティが制作したパーソン・メインの彫像が広場を俯瞰している。 1780年までに広場を取り巻く地域は町の中でも最も人口の多い場所となり、広場の東端には集会所兼教会が建てられ、その入り口はサウスメイン通りに面していた。新しい集会所の側に墓地も造られたが、その場所は湿気が多いことが分かり、現在のオールドロチェスター墓地に移された。1842年、集会所兼教会は現在のリバティ通りとサウスメイン通りの角に移された。時を経るに連れて広場は開発のために売却される場所が出て、その大きさは小さくなっていった。 アメリカ独立戦争のとき、広場は出征する兵士の集合場所になった。また南北戦争で戦死した54人の名前を刻んだ記念碑もある。きの記念碑は1870年代に除幕され、1880年代には彫像が追加された。碑の側には南北戦争時代の大砲4門が置かれていたが、第二次世界大戦のときに、戦争に使うために溶かされた。その後第二次世界大戦の大砲が置かれた。 1914年にマイルス・ダスティンが屋外ステージを建設した。それ以前のコンサートは広場で開催されていた。1917年には旗竿をJ・フランク・プレイスが寄付した。プレイスは新聞「ロチェスター・クーリエ」の元出版者だった。
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