ロスト川への帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 22:52 UTC 版)
キエントプース(キャプテンジャック)の仲間とクラマス族の間にある悪感情を考慮したアルフレッド・B・ミーチャムは、ワシントンD.C.のインディアン問題理事に対して、キエントプースのモードック族に別の保留地を「与える」よう進言した。ミーチャムは、この進言に対する行動がまだ決まっていない間、キャプテン・ジャックたちにはクリア湖畔に留まるよう指示した。しかし、キャプテン・ジャックとその仲間達は田園部をうろついて白人入植者達に嫌がられたので、白人入植者達はモードック族をクラマス保留地に追い返すようミーチャムに請願した。白人のならず者「ジャンプオフ・ジョー」もまたこの地域に戻り、入植者達に暴力行為を行うようになった。 ミーチャムは、請願を受け取ったときに、コロンビア方面軍指揮官であるエドワード・キャンビー将軍にキャプテン・ジャックとそのモードック族をクラマス保留地のヤイナックスに移すよう要請した。キャンビーはミーチャムの要請を太平洋岸司令官のスコフィールド将軍に流し、キャプテン・ジャックを保留地に移動させる前に和平調停の試みを行うべきだと促した。1872年4月3日、エルマー・オーティス少佐が現在のオレゴン州オーリーンに近いロスト川峡谷でキャプテン・ジャックと協議の場を持った。キャプテン・ジャックとその仲間は疑いようもなく敵対的だった。彼等はジャンプオフ・ジョーの率いる入植者達に攻撃され、メンバーの1人が殺されて頭皮を剥がれたと苦情を言った。しかし彼らが保留地に戻るためには、何も成されなかった。 4月12日、ワシントンのインディアン問題委員会がワシントン州のためのインディアン問題監督官T・B・オーデニールに、可能ならばキャプテン・ジャックとモードック族を保留地に移し、彼等がクラマス族に虐待されないよう見張ることを要請した。5月14日、オーデニールはその受けた指示を実行し、アイバン・D・アップルゲイトとL・S・ダイアーをキャプテン・ジャックとの協議を手配するよう派遣したが、キャプテン・ジャックはこれを拒んだ。7月6日、ワシントンのインディアン問題理事がオーデニール監督官に、可能ならば平和的に、必要ならば強制的にキャプテン・ジャックとその仲間をクラマス保留地に移すよう指示した。
※この「ロスト川への帰還」の解説は、「モードック戦争」の解説の一部です。
「ロスト川への帰還」を含む「モードック戦争」の記事については、「モードック戦争」の概要を参照ください。
- ロスト川への帰還のページへのリンク