ロシア人との接触以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 07:35 UTC 版)
カムチャッカに最も近いという立地から、アリューシャン列島の中ではロシア人によって最初に探索された島となった。文献記録によれば、1741年に探検船が遠距離からこの島を望見した。1742年春に、ロシアの探検家アレクセイ・チリコフ(英語版)がこの島を「聖テオドロスの島」と命名したのが「公式な発見」とされる。 1745年、ミハイル・ネヴォドチコフ(ロシア語版)が率いるプロミュシュレンニキ(英語版)たち(毛皮貿易に従事する、商人・猟師・船乗り・傭兵の一団。ロシア人のほかシベリア先住民たちも含まれた)が島を訪れたのが「最初の上陸」の記録である。ロシア人たちは島に数年間滞在し、ラッコ猟に従事した。ロシア人はしばしば地元住民と衝突した。貿易商人たちの「最初の波」が去ったあと、ヨーロッパ人たちの船はこの島に注意を払わなくなった。 ロシアはこの島を流刑地としても使った。また、島にはロシア正教がもたらされ、島民はスラブ系の氏名を名乗るようになった。 1867年、アラスカ購入によってアッツ島もアメリカ合衆国領となったが、アメリカ人がこの島に寄せる関心も低かった。
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