レーシングシャシーの歴史的供給者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 09:40 UTC 版)
「ローラ・T95/30」の記事における「レーシングシャシーの歴史的供給者」の解説
ローラは1957年の設立以来の自動車レース用シャシーの長い歴史を有している。1962年から、ジョン・サーティースとロイ・サルヴァドーリのドライビングでヨーマン・クレジット・レーシング・チームがフォーミュラ1世界選手権にモデルMk4で参戦していた。ローラが参戦した最初のレースであるオランダ・グランプリではサーティースがポールポジション奪取するなど、立ち上がりは非常に満足のゆくものだった。その翌年、ローラはレッグ・パーネル・レーシングにシャシーを供給したが、結果は芳しくなく、このイギリスのコンストラクターはフォーミュラ1世界選手権にたまにしか出場しなかった(1967年と1968年にそれぞれ1レースずつの出走)。 しかしながら、1967年にホンダがローラへのF1の車体設計の発注を発表した。ホンダは743kgととても重たい「自家製シャシー」のRA273を、より軽量なシャシーで置き換えたいと望んでいた。USACチャンピオンシップのレース向けのフォーミュラ―・カーとして、ローラはわずか600kgのホンダRA300を開発した。当時のレースメディアから「ホンドーラ」と呼ばれたこのフォーミュラ―・カーは、ホンダのF1での2勝目となるモンツァでのイタリア・グランプリでジョン・サーティースが優勝した初レースから強烈な印象を与えた。1968年、ホンダはRA301を自社開発し(設計は中村良夫と佐野彰一)、ローラはフォーミュラ1を後にした。 1974年にグラハム・ヒルのエンバシー・ヒルにT370シャシーを供給するまでは、ローラはF1に復帰しなかった。その翌年、戦績が振るわないことからヒルは自社製レーシング・シャシーの開発を決定したため、ローラは4レースでフォーミュラ1から去ることになった。
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