レラ遺跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > レラ遺跡の意味・解説 

レラ‐いせき〔‐ヰセキ〕【レラ遺跡】


レラ遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/26 02:31 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
レラ遺跡
直近都市 ミクロネシア連邦レラ島
座標 北緯5度19分57秒 東経163度01分30秒 / 北緯5.3325度 東経163.025度 / 5.3325; 163.025
面積 173エーカー (70 ha)
NRHP登録番号 83004524[1]
NRHP指定日 1983年8月16日
レラ島の地図。西半分が低地であることがわかる。
レラ遺跡の地図

レラ遺跡 (Leluh, Lelu) は、ミクロネシア連邦に残る都市の遺構とそれを取り囲む先史時代・歴史時代の考古遺跡で、コスラエ島に付随するレラ島に残っている。柱状の玄武岩を組み上げた建造物群が残り、同様の構造物を多く含むナンマトル(ナン・マドール)とともに、ミクロネシア連邦を代表する巨石記念物である。残っているのは、14、15世紀頃に最盛期を迎えた文明のもので、19世紀初頭にヨーロッパ人たちが接触したときにまだ顕著であった要素を含んでいる[2]

日本語ではレラ[3]のほか、レル[4]レレ[5]レロロロルル[6]など、様々な表記揺れがある。

概要

レラ島は西部の平地と東部の山地に二分でき、レラ遺跡は前者の平地のほとんどを占める[7]。遺跡の面積は27ヘクタール[4]である。

レラの支配者たちはコスラエ島を段階的に征服し、ついには島を統一した。レラの首都から支配者たちは島を統治したが、その政体について、考古学者たちからはトンガ大首長国ハワイ王国の政体に似たものであったと見なされている。レラ王朝による建設の開始は1250年ごろで[8]、最盛期は1400年とも[8]、1500年から1700年ごろ[4]とも言われている。建設に携わった王朝の末裔と思われる首長は、19世紀までレラ遺跡に住んでいたらしい[9]

都市自体はサンゴ玄武岩のブロックで築かれており、住居、王墓、宗教施設などを含んでいる。柱状の玄武岩は、ナンマトルと同じように柱状節理を利用しており、コスラエ島から切り出したと考えられている[10]。住居は王とその一族、高級・下級貴族、庶民に分類される。その住居の建材は、広さで示される社会的身分によって異なった。すなわち、中心部には、王と高級貴族の住居が(ナンマトルの石壁に類似した)玄武岩の高い壁に隠れており、西側には下級貴族の控えめなサンゴの住居が、残りの場所には庶民の簡素な小屋がある。

墓にはザルーと呼ばれる偽の墓もある。これは、レラの人々が、王の遺体を食おうとする悪霊の存在を信じていたことによるらしい[11]。すなわち、本物の遺体がどこに埋葬されているのか分からないように、植物で作ったダミーの遺体を埋めた墓を作ったのだという[11]

建造物群の中で最大のものはキンジェル・フェラト(旧称はポトゥ・ファラト)である。その規模は、縦58 m、横33 m、壁の高さは四隅で異なるが、7.5 m から 9 m であり[12]、ナンマトルで最大規模のナンタワス遺跡にも匹敵する[13]。ナンマトルは海上の人工島群に築かれ、水城とも位置づけられる遺跡だが、レラ遺跡の場合は低地に築かれている。しかし、レラ遺跡の中にも水路が引かれていた形跡があり、半水城などとも位置づけられる[14]

伝承上、レラ遺跡はナンマトルに先行していたとされるが、考古学的には懐疑的な見方もされており[15]、詳しい関係性などは未解明である[8]

研究と保護の歴史

コスラエ島をヨーロッパ人が発見したのは、1804年のことだった[16]。1824年には、レラ遺跡で800人ほどが暮らしていることを、フランス人ダーヴィルが報告している[4]。定住人口の報告は1827年にデュペリーという人物もしている[17]

ヨーロッパ人たちが接触したときには、コスラエ島の人口は6,000人いたと見積もられたが、1870年には200人にまで激減した。レラ遺跡もヨーロッパ人が接触し始めた時には人が住んでいたが、その後、数十年のうちに放棄され、急速に荒廃した。地元民はレラ遺跡に取り憑いた悪霊が多くの住民を殺したため、と説明したらしいが、実際にはヨーロッパ人が持ち込んだ病気に対する免疫の無さが原因だったのではなかったかと推測されている[18]

最初の重要な調査は、1896年のF. W. クリスチャンによるもの(1899年公刊)が最初で、それによって世界的に知られるようになった[19]。1910年にはハンブルク民族博物館の調査隊による調査が実施されたが、その間にもクリスチャンの報告と比べても荒廃が進んでいたという[20]。1929年には長谷部言人八幡一郎が調査し、多数の副葬品などを発見している[21]

20世紀には、島で施設を増やしていく結果、遺跡の建材には別の目的に転用されてしまったものがあった。しかし、レラ遺跡は1983年にアメリカ合衆国国家歴史登録財となった[1]。ナンマトルは2016年にUNESCO世界遺産リストに登録されたが、レラ遺跡の拡大登録が視野に入れられている[22]

脚注

  1. ^ a b National Park Service (9 July 2010). "National Register Information System". National Register of Historic Places. National Park Service. 2020年10月12日閲覧
  2. ^ National Asian Pacific Heritage Month”. National Park Service. 2014年10月24日閲覧。
  3. ^ 高山 1983, p. 76
  4. ^ a b c d 印東 2005, p. 65
  5. ^ 印東 2005, p. 65、植木 1978, p. 194
  6. ^ 以上3つは植木 1978, p. 194
  7. ^ 植木 1978, p. 194
  8. ^ a b c 太平洋諸島センター 2013, p. 48
  9. ^ 植木 1978, p. 206
  10. ^ 植木 1978, p. 197
  11. ^ a b 植木 1978, pp. 199-200
  12. ^ 植木 1978, p. 195
  13. ^ 植木 1978, p. 205
  14. ^ 植木 1978, pp. 205-206
  15. ^ 高山 1983, p. 76
  16. ^ 植木 1978, p. 192
  17. ^ 植木 1978, pp. 192, 194, 196
  18. ^ 植木 1978, p. 196
  19. ^ 植木 1978, p. 195
  20. ^ 植木 1978, pp. 196-197
  21. ^ 植木 1978, pp. 200-203
  22. ^ ICOMOS 2016, p. 103

参考文献

関連項目

座標: 北緯5度19分57秒 東経163度1分30秒 / 北緯5.33250度 東経163.02500度 / 5.33250; 163.02500


レラ遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 15:17 UTC 版)

ナンマトル」の記事における「レラ遺跡」の解説

詳細は「レラ遺跡」を参照 コスラエ島付随するレラ島にも、柱状玄武岩巨石記念物であるレラ遺跡がある(表記揺れ当該記事参照)。東ミクロネシアにおいてはナンマトル双璧をなす中心地とされ、ミクロネシア連邦将来的世界遺産登録視野入れている。 レラ島の低地築かれたレラ遺跡は柱状玄武岩利用した巨石構造物群で、構造物群の間に水路引いていた「半水城」という点などでナンマトル類似する規模ナンマトル3分の1ほどだが、最大遺跡キンジェル・フェラトの規模けならばナンマトル中心遺跡ナントワスに匹敵する墓の様式などに違いはあるものの、伝承上はナンマトルよりも先に築かれとされる考古学的知見からも確かに両者交流認められているが、逆にナンマトルがレラ遺跡に影響与えた考えられている。というのは、レラ遺跡の建設開始1250年頃、巨石記念物群の建設開始至って1400年以降のことと考えられいるからである。 なお、ナンマトルレラ影響は、サプゥアフィク環礁ポンペイ州)、ナムー環礁マーシャル諸島)などにも拡散していったことが、それらの環礁共通して見られる玄武岩製の神像から推測されている。

※この「レラ遺跡」の解説は、「ナンマトル」の解説の一部です。
「レラ遺跡」を含む「ナンマトル」の記事については、「ナンマトル」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「レラ遺跡」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「レラ遺跡」の関連用語

レラ遺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



レラ遺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのレラ遺跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのナンマトル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS