レッド5(レッドファイブ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:44 UTC 版)
「ナイジェル・マンセル」の記事における「レッド5(レッドファイブ)」の解説
1985年にウィリアムズへ移籍した際、この年のチームメイトであるケケ・ロズベルグとヘルメットのカラーリングが似ていたため、チームクルーや他のドライバーが区別しやすいようにと、白字だったカーナンバー「5」をシーズン途中から赤に変更した。赤を選んだ理由について、マンセルは「イギリス空軍のレッドアローズからいただいたアイデア」と発言しており、第1期ウィリアムズ時代はレーシングスーツも赤色だった(チームメイトは白いレーシングスーツ。ロズベルグはオレンジ)。 このマシンで当時としては最遅記録となる参戦72戦目でのF1初優勝を遂げ、以来「赤いNo.5=レッド5」はマンセルのトレードマークとなった。ロズベルグが1985年限りでチームを離脱し、チームメイトがピケ、パトレーゼと交代する中においても、フェラーリ移籍まで一貫して「レッド5」を付け続け、その後も1991年からの第2期ウィリアムズ時代、1993年のCARTに転向初年度にも、「レッド5」を付けていた。 1994年には、CARTではディフェンディング・チャンピオンの証である「No.1」、シーズン終盤にウィリアムズから復帰したF1では「No.2」となり、トレードマークの「No.5」は使用されなかったが、それぞれで赤字ナンバーは継続された。F1最終シーズンとなる1995年のマクラーレンでも赤いナンバーだったが、この場合は特別に変更したわけではなく、チームは元から赤字のカーナンバーであった。 1998年にイギリスツーリングカー選手権(BTCC)にスポット参戦したときは、「No.5」はジェームス・トンプソンが使用していたが、「No.55」を赤字にして登場。BTCCのカーナンバーは黒となっていたが、例外的に赤いカーナンバーが認められたものであった。2005年に開催されたグランプリマスターズでも、赤いカーナンバー5を付けている。
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