レイア時代
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2014年からノース・レイアに入団。開幕当初は控えからのスタートだったが、プロ初打席初安打を機に出場機会を増やし始め、シーズン中盤以降はレギュラーに定着し、三塁で17試合・指名打者で10試合に先発出場した。また、投手としてマウンドに立つ機会もあり、5試合の登板で防御率2.33の数字を残すなど、高卒1年目ながらチームに欠かせない主力選手となった。 2年目を迎えた2015年からは、チームが東北レイアと名称を変え、育成球団としてスタートを切ったため大幅な選手の入れ替えが生じ、高卒1年目の立場から一転、年上が2歳上の堀越美紀のみとなったチーム編成に加え、高卒ルーキー6人を迎え入れたチームの中で副主将を任される。 そのチーム方針から公式戦が激減し、年間通じて計9試合しか開催されなかったが、その9試合全てでフルイニング出場を果たし、3番に6試合・5番に3試合座りチームトップの打率.280をマークした。しかし、チームは10月17日のジャパンカップ出場決定戦で2-2の引き分けに終わり、規定によりジャパンカップへの出場はならなかった。 なお、3月28日発売の『女子プロ野球Walker 2015』では表紙を飾った。
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