ルンペン列車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 14:44 UTC 版)
1930年(昭和5年) - 1931年(昭和6年)の昭和恐慌時には、失業者や浮浪者が行き場を失い都市にあふれ、一部は犯罪行為に及ぶなど治安の悪化が社会問題化した。1931年(昭和6年)12月、鉄道省では冬季の除雪要員を確保するために、苗穂駅構内の引き込み線に廃客車8両を引き入れ、暖房と食事を提供する無料宿泊所としたところ、札幌近郊から失業者や浮浪者が殺到。車両も13両に増加させた結果、1935年(昭和10年)には利用者が900人規模に達し、全国的にルンペン列車として名が知られるようになった。その後、無為徒食を助長する救済政策が批判されるようになり、別途、失業者救済が行われるようになった結果、1937年(昭和12年)3月15日に施設が廃止されるに至っている。
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