ルドルフ・カラツィオラ(ドイツ)
1930年代のもっとも優れたドライバーのひとり。アルファロメオに乗った32年とルイ・シロンとともに、スクデリーアCCを組織した33年を除いて、ドライバーとしての時期をほとんどメルセデス・ベンツに乗って戦った。このため30年代後半は、アウトウニオンのスタードライバーとなった若者、ベルント・ローゼマイヤーの最大のライバルでもあった。愛称はルディ、敬称はダー・レーゲンマイスター。この雨の帝王とでもいうべき敬称は、彼のビッグレースへのデビューとなった26年、アブースのグランプリに始まり、36年のモナコGP、38年のスイスGPなど、繰り返し豪雨の中のレースで優勝したことに由来している。他のドライバーの多くがコントロールを失い、クラッシュしていく状況のなかで、カラツィオラだけはスムーズ、かつ正確なドライピングを続け、スピードも群を抜いていた。一方、33年のモナコGPでクラッシュ、一時は再起不能といわれていたが、翌34年半ばには回復してスイスのクラウゼン・ヒルクライム(このときのタイムが最高記録となった)などで優勝した。大戦中はスイスで暮らし、戦後再びメルセデス・ベンツ300SLに乗る機会を得て、52年のミレ・ミリアで4位を獲得。その後スイスのレースでクラッシュして現役から退いた。59年、肝臓病で死亡。
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