ルツェルンでの建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/22 16:12 UTC 版)
「アウトバーン 2 (スイス)」の記事における「ルツェルンでの建設」の解説
1955年6月11日に「ルツェルン=南幹線道路(Ausfallstrasse Luzern-Süd)」が開通した。これが今日のA2の前身であり、さらにスイスの高速道路の前身となる。この路線はアイヒホーフ(現ルツェルン=クリエンツジャンクション)からエネットル(現ホルフ)を結び、ルツェルン南部の郊外の街、ホルフへのバイパスとして役立った。ただし今の基準と比べれば、インターチェンジは非常に短く路面表示もないうえに、硬路肩やガードレールといった安全設備も備えていなかった。また横断歩道や自転車用車線も道の両側にあり、立体交差は全く存在しなかった。 1958年、国による全国的な高速道路網の建設を求める国民投票が可決された。背景には経済成長によって民間のインフラ投資が急速に活発化したことがある。こうして1960年6月21日、国土を東西に横断する軸となる路線、N1(Nationalstrasse1、後のA1)が計画された。これはジュネーヴからローザンヌ、ベルン、チューリッヒを経由してボーデン湖まで到達する予定だった。しかし一方でバーゼルからキアッソを結ぶような南北の軸となる路線は計画されておらず、連邦議会がゴッタルドにおけるトンネル建設と高速道路網の拡張を最終的に決定したのは、1960年に設置されたワーキンググループの推薦を得た後の、1965年のことであった。こうしてN2(Nationalstrasse2)の建設計画が始動した。ゴッタルドのトンネルは現在「ゴッタルド道路トンネル」と呼ばれ、ゲシェネンからアイロロを貫通している。
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