リラの咲くころバルセロナへとは? わかりやすく解説

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リラの咲くころバルセロナへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 05:22 UTC 版)

リラの咲くころバルセロナへ
光GENJIシングル
初出アルバム『HEART'N HEARTS
B面 I'LL BE BACK
リリース
規格 8センチCD
シングルカセット
ジャンル J-POP
レーベル ポニーキャニオン
作詞・作曲 作詞:康珍化
作曲:後藤次利
編曲:後藤次利・新川博
チャート最高順位
  • 週間2位オリコン
    • 2→10 TOP10内2週ランクイン
  • 1992年度年間119位(オリコン)
光GENJI シングル 年表
TAKE OFF
1992年
リラの咲くころバルセロナへ
1992年
Meet Me
1992年
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リラの咲くころバルセロナへ」(りらのさくころばるせろなへ)は、光GENJIの17枚目のシングル1992年4月29日(水曜日)にポニーキャニオンから発売された。

解説

1992年7月25日から8月9日まで開催された「1992年バルセロナオリンピック」の応援ソングとして日本オリンピック委員会(JOC)に使用され、30万枚を売り上げた[1]

光GENJIも『オリンピック広報アドバイザー』の肩書きを与えられた。

曲自体は別歌詞の「New エールバージョン」が後に制作発売された。

「リラの咲くころバルセロナへ」は、もともと2番がない。しかし「ミュージックステーション」で歌詞の違う「リラの咲くころバルセロナへ New エールバージョン」が披露され、この歌詞が2番として楽曲に組み込まれたフルサイズが、後のベスト・アルバムSUPER BEST TRY to REMEMBER』に収録された。この年の『第43回NHK紅白歌合戦』で披露されたのも表記はされなかったが「New エールバージョン」の方であった。

光GENJIがレギュラー出演していた「ミュージックステーション」で最も披露された曲となった(17回)。

収録曲

全曲作詞:康珍化 作曲:後藤次利 編曲:後藤次利・新川博

  1. リラの咲くころバルセロナへ
    • 1992年バルセロナオリンピック応援ソング
    • 松下電器産業(現パナソニック)『エオリア』CMソング(CMでは冒頭部分が使用された。エオリア室外機の売りであった機能に合わせて「マタドール」(闘牛士の意)が「スクロール」と変えられて歌われている)。
  2. I'LL BE BACK
  3. リラの咲くころバルセロナへ(MINUS LEAD VOCAL KARAOKE)
  4. I'll BE BACK(MINUS LEAD VOCAL KARAOKE)


 ドラム 青山純  ベース 後藤次利 ギター 大村憲司 キーボード 新川博、小林信吾

脚注

  1. ^ 読売新聞』1993年11月10日付東京夕刊、3頁。




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