リメスの建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 00:50 UTC 版)
リメスの建設はマイン川の南岸付近から開始された。この地域に住むローマに友好的な弱小部族マティアチ族から土地を買い上げ、マティアチ族に対して支配的でローマに敵対する部族カッティ族との間に防塁を築いたのだった。この工事は当然カッティ族の反感を招き、戦闘が行われたが、ローマ側が辛くもこれに勝利した。しかし皮肉にも辛勝であったことが防塁の重要性をさらに強調することとなった。 こうしてマイン川の南岸 ヴェルト付近から南下し、ネッカー川沿岸 バート・ヴィンプフェン 付近にいたる防塁を築き、ネッカー川に沿ってシュトゥットガルト付近まで補助部隊の基地を配置した。この部分をネッカー・オーデンヴァルト・リメスと呼ぶこともある。 以後もリメスは徐々に拡張され続けた。マイン川の北側では、ライン川のボンとコブレンツの中間付近から東に入り、ハーナウ付近でマイン川に達する防塁が築かれる。この部分をゲルマニア・スペリオル・リメスと呼ぶ。ネッカー・オーデンヴァルト・リメスの南側は、シュトゥットガルトから東に折れて、北に張り出したゆるやかな弧を描きながらレーゲンスブルクのやや上流アイニンクでドナウ川にまで達する防塁となった。これをレティシャー・リメスと呼ぶ。ネッカー・オーデンヴァルト・リメスはその東側のオーデンヴァルトを包み込んで東に進出し、北はヴェルトからマイン川を10kmほど上流に遡ったミルテンベルクからネッカー川とほぼ平行に南南東へ直線的に延び、ロルヒでドナウに至るリメスに合流する形となった。 こうした全長580kmを越えるリメスの全容が完成するのはハドリアヌス帝の時代になってからであり、アントニヌス・ピウス帝の時代まで改良・強化が加えられ続けた。
※この「リメスの建設」の解説は、「リメス」の解説の一部です。
「リメスの建設」を含む「リメス」の記事については、「リメス」の概要を参照ください。
- リメスの建設のページへのリンク