リメスの放棄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 00:50 UTC 版)
260年、ローマ帝国皇帝ウァレリアヌスが、サーサーン朝の皇帝シャープール1世とのエデッサの戦いに敗れ、捕虜となった。この事件はローマ帝国の弱体化を白日の下にさらすこととなり、ゲルマン系部族が相次いで反ローマの戦いに蜂起した。リメスを越えて侵入したのは、近くに暮らしていたアレマンニ族であった。結局皇帝ガッリエヌスはリメスを放棄してアレマンニ族に防衛を委ねることを決断し、ローマ帝国の防衛ラインは再びライン川−ドナウ川の源流域まで後退した。その後、リメスは徐々に忘れ去られたが、どこまでも延びるリメスの遺跡は地元の人から『悪魔の城壁(トイフェルスマウアー)』とあだ名された。
※この「リメスの放棄」の解説は、「リメス」の解説の一部です。
「リメスの放棄」を含む「リメス」の記事については、「リメス」の概要を参照ください。
- リメスの放棄のページへのリンク