ランカスター派への忠誠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 14:47 UTC 版)
「ウィリアム・ネヴィル (初代ケント伯爵)」の記事における「ランカスター派への忠誠」の解説
彼はどうやらヘンリー6世統治下の早い時期には、軍人としてのそこそこのキャリアを重ねていたようである。 1426年 5月:騎士に叙される。 1435年 :スコットランドの国境に赴任。 1436年 :ヨーク公リチャードと共にフランスに赴任。(後にウィリアムの忠誠を受ける男との最初の接触) 1439年まで:フランスで、タルボット・スカレス卿と一緒の野戦指揮官。 1440年 :ガーター勲章受勲 1443年までのどこか:イングランドに帰任。 1443年3月7日:ロックスバラ城の守備に赴任。 彼は辺境維持のための俸給として、国庫から平時には年間1000ポンド(2005年の価値に換算して100万ポンド)、スコットランドとの戦時であればその倍を与えられていた。だが、1449年に外交使節の一員としてフランスに戻り、1449年5月にノルマンディーのラルク港で捕えられた。フランスで囚われ2年間、彼は城の維持を自費でまかなってきた。だが1449年に俸給を受けたにも関わらず、1451年には4109ポンドの負債ができており、一部の支払いを余儀なくされた。 1453年、8000エキュ(現在の価値で2〜3千万円以上)の身代金を払って解放された。彼はまだロックスバラ城を持っていたが、城の維持のための出費とフランスに監禁された事による減収で、貧しくなっていた。今や彼は国庫から1000ポンドを借りていた。そこで彼はニューキャッスルの地所について俸給を受け取って支払った。この時の支払額は借受金には足りなかったが、彼には収入の見込みがなかったのである。グリフィス曰く、 「彼の物語で注目に値するのは、ランカスターの王権が(彼の)忠誠を受けられていた事だろう。」
※この「ランカスター派への忠誠」の解説は、「ウィリアム・ネヴィル (初代ケント伯爵)」の解説の一部です。
「ランカスター派への忠誠」を含む「ウィリアム・ネヴィル (初代ケント伯爵)」の記事については、「ウィリアム・ネヴィル (初代ケント伯爵)」の概要を参照ください。
- ランカスター派への忠誠のページへのリンク