ランカスター朝の成立と終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 15:57 UTC 版)
「ランカスター朝」の記事における「ランカスター朝の成立と終焉」の解説
1399年にジョンが没すると、甥のイングランド王リチャード2世はランカスター公領を没収した。これに対しジョンの息子のヘンリー・ボリングブルックが反乱を起こし、同年にリチャード2世を廃位しヘンリー4世として即位し、ランカスター朝を創始した。 これに先立つ1385年、ジョンの弟エドマンド・オブ・ラングリーがヨーク公の称号を得てヨーク家を起こし、ランカスター家に対抗する勢力となった。 第2代のヘンリー5世は百年戦争で華々しい戦果を得たが、ヘンリー6世の時代にそれらは失われ、ヨーク家との間に薔薇戦争が勃発(1455年)、1461年にヘンリー6世はヨーク朝のエドワード4世に王位を奪われ、幽閉された。ヨーク朝の内紛によりヘンリー6世は1470年に復位したが、翌1471年に反撃に出たエドワード4世に捕らえられ、殺害された。その後ランカスター家は復活できず、1485年までヨーク朝がイングランドを支配した。 ヘンリー7世は母マーガレット・ボーフォートがランカスター家傍系のボーフォート家の出身であったことから王位継承権を主張し、ヨーク家のリチャード3世を攻め滅ぼしてテューダー朝を興した。
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