ララミー条約裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/13 09:55 UTC 版)
1868年の第二次ララミー砦条約(英語版)で、白人側は、ブラック・ヒルズ一帯は「永遠にスー族のものであり、狩りの場であり、白人の立ち入りは禁止される」という文言を基にこれをスー族と確約した。 ところが金鉱が見つかると、アメリカ政府は1876年にこの条約を反故にするブラックヒルズ戦争を行って、1877年にはブラックヒルズを差し押さえた。この間、リトルビッグホーンの戦い(1876年)において、カスター将軍と第7騎兵隊が全滅している。) ララミー砦での条約の文言は、「ブラックヒルズは、太陽が光り輝き、草が生える間は、スー族のものである」という、あいまいで抽象的な表現で書かれており、さらに「インディアンがそれを返したくなるまでは」と付け加えられている。 アメリカ政府は、この文言を都合よく捻じ曲げて解釈した。一帯は豪雪地帯であり、冬ともなれば空は曇天におおわれ「太陽は光り輝かず」、大地は深雪に覆われて「草は生えなくなる」と言えなくもないのである。このとんち問答のようなあいまいな文言を巡り、スー族と連邦政府は、半世紀を超える法廷闘争を続けている。 20世紀スー族の長老マシュー・キングは、パハ・サパについてこうコメントしている。 「白人どもはわしらを馬鹿扱いしているからな。 誰かがあんたの家を盗みにやって来て、あんたを蹴り出し、またやって来てこう言ったと思いなさい。『おお、すまんすまん、こりゃ悪かった、ほれ、お前の家の代わりに50セントやろう!』若いの、やつらは全くインディアンを小馬鹿にしとるだろう?」 1890年12月29日、騎兵隊がスー族から武器を取り上げようとしていたとき、ウンデット・ニーの虐殺事件発生。 1980年6月30日、米国最高裁判所はララミー砦条約違反を認め、スー族に当時の実勢土地価格1750万ドルと、103年間の利子分1億500万ドルの支払いを連邦側に求めた。連邦側はこれに応じる姿勢であるが、スー族はこれを断固拒否していて、利子額は累積し続け、莫大な額になっている。 つまり、ブラック・ヒルズは最高裁も認めた白人による不法占拠地である。
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