ラッセル家がベッドフォード伯位を得る
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「ベッドフォード公爵」の記事における「ラッセル家がベッドフォード伯位を得る」の解説
現在のベッドフォード公であるラッセル家の祖は初代ベッドフォード伯爵ジョン・ラッセル(1485-1555)である。彼は貿易商をしていた1506年1月にドーセットに難破した神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の長男フィリップとその妃フアナの通訳を務め、その功績でヘンリー7世の宮廷官に取り立てられた。続くヘンリー8世の時代にも外交官や枢密顧問官として活躍し、修道院解散で修道院所有の荘園を次々と獲得した。ベッドフォードシャーのミルトン・キーンズ付近にあるウォバーン・アビーの荘園やロンドン中心部コヴェント・ガーデンもこの時に入手している。ヘンリー8世の宮廷では粛清が相次いだが、彼は処刑されることなく、次のエドワード6世の時代まで宮廷で重きをなし続けた。1539年3月9日にはヘンリー8世よりベッドフォード州におけるチェニースのラッセル男爵(Baron Russell, of Chenies in the County of Bedford)、1551年1月19日にはエドワード6世よりベッドフォード伯爵(Earl of Bedford)に叙せられている。 その子である第2代ベッドフォード伯フランシス(英語版)(1527-1585)は、エリザベス1世時代に外交官として活躍したことやフランシス・ドレイクの名付け親となったことなどで知られる。 2代伯の跡は2代伯の三男ヘンリーの子であるエドワード(英語版)(1572-1627)が継いだが、彼には男子がなかったため、その死後、2代伯の四男初代ソーンホーのラッセル男爵(英語版)ウィリアム(英語版)(1558–1613)の子である第2代ソーンホーのラッセル男爵フランシス(英語版)(1593-1641)が4代ベッドフォード伯を継承した。そのためこれ以降ノーサンプトン州におけるソーンホーのラッセル男爵(Baron Russell of Thornhaugh, in the County of Northampton)も従属爵位に加わる。また4代伯はウォバーン・アビーに邸宅を立てた人物であり、以降ここがラッセル家の本拠となる。 4代伯の長男が初代ベッドフォード公に叙されることになる第5代ベッドフォード伯ウィリアム・ラッセル(1613-1700)である。
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