ラッセル内閣の外相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 15:10 UTC 版)
「ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「ラッセル内閣の外相」の解説
1845年からアイルランドでじゃがいも飢饉が発生した。パーマストン卿の所領もこの飢饉で大きな打撃を受けた。彼は領主として領内の小作人たちにカナダ移住を促した。 飢饉対策として行われた穀物法廃止をめぐって保守党政権は自由貿易派(ピール派)と保護貿易派に分裂して政権崩壊した。代わってジョン・ラッセル卿を首相とするホイッグ党政権が誕生し、パーマストン卿も同内閣に外相として入閣した。ラッセルの部下という形になったが、この頃にはパーマストン卿のホイッグ党内での権威はラッセルのそれとほぼ同等になっていた。 アバディーン伯爵の宥和政策にすっかり慣れていた諸外国にとっては強硬外交家パーマストン卿の復帰は「悪夢」であったという。
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