カナダ移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 02:45 UTC 版)
ロシア帝国政府はドゥホボール派の懐柔がうまくいかず、国際的批判も高まったことから、1897年、彼らを自主的移住の形で国外追放することにした。移住費用は自己負担とし、受刑中の指導者たちも減刑して移住させることにした。 一部の人々はまずキプロスへ移住したが、気候が合わず断念した。その他の人々は、カナダ政府が歓迎したこともあり、カナダへの移住を決めた。1899年に第一陣約6千人がカナダに移住し、政府が提供した現在のマニトバ州とサスカチュワン州に入植した。さらに他の人々も続き、7,400人、ドゥホボール派信徒の約三分の一がカナダへ移住し、流刑にされていた人々も合流した。 渡航費用は、彼らに共感したクエーカーやトルストイ主義者、またトルストイ自身(『復活』などの印税)により捻出された。トルストイは友人たちからも資金を集め移住のための基金を設立した。無政府主義者クロポトキンらも彼らを援助した。
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