ライブが日本の音楽界に与えた影響
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「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」の記事における「ライブが日本の音楽界に与えた影響」の解説
日本では、このコンサート以前にもオムニバス形式(多数の出演者)やオールナイトで行われたコンサートもあったが、観客は数千人から多くて1万人程度。これ以前に最大級といわれた全日本フォークジャンボリーですら最高で2万人〜2万5千人であった。このコンサートのように単独に近いアーティストで、5万人以上を動員した大規模なものは前例がなく、これも大規模野外コンサート、今日いう夏フェスという、現在では珍しくない一つの形式を作ることとなった。イベント終了後、スタッフとして関わった現ヤマハリゾートつま恋音楽企画プロデューサー・木下晃のもとには、さまざまなイベンターや音楽関係者が、そのノウハウを聞くべくつま恋を訪れた。木下は「その後多くのイベントはつま恋が雛形になっているんです。あの成功がなかったら、日本に野外の音楽フェスが定着するのは、もっとずっと後だったと思います」と話している。本コンサートの成功後、著名アーティストのコンサートが多数「つま恋」で開かれている。 コンサートが行われた1975年は、フォークブームが頂点に達した年で、シングル売上げ年間2位が小椋佳が提供した『シクラメンのかほり』(歌・布施明)、3位小坂恭子『想い出まくら』、7位風『22才の別れ』、9位に吉田拓郎が提供した『我が良き友よ』(歌・かまやつひろし)がランクイン。アルバムでは井上陽水が17週、小椋佳が9週、吉田拓郎が4週、かぐや姫が3週、風が2週と、年間52週のうち、フォーク系アーティストが35週にわたって1位を独占した。ところが翌年以降はポップス系が台頭して、日本のミュージックシーンはフォークからニューミュージックへと変貌していく。コンサートの最後、吉田拓郎の「人間なんて」の、6万人の大合唱で迎えた夜明けは、フォークという時代のクライマックスを意味し、後に始まるニューミュージック、J-POP時代の夜明けでもあったといわれる。
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