ライブが日本の音楽界に与えた影響とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ライブが日本の音楽界に与えた影響の意味・解説 

ライブが日本の音楽界に与えた影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 17:55 UTC 版)

吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」の記事における「ライブが日本の音楽界に与えた影響」の解説

日本では、このコンサート以前にもオムニバス形式多数出演者)やオールナイト行われたコンサートもあったが、観客数千人から多くて1万程度。これ以前最大級といわれた全日本フォークジャンボリーですら最高で2万人〜2万5千人であった。このコンサートのように単独に近いアーティストで、5万人以上を動員した大規模なものは前例がなく、これも大規模野外コンサート今日いう夏フェスという、現在では珍しくない一つ形式作ることとなったイベント終了後スタッフとして関わった現ヤマハリゾートつま恋音楽企画プロデューサー木下晃のもとには、さまざまなイベンター音楽関係者が、そのノウハウ聞くべくつま恋訪れた木下は「その後多くイベントつま恋雛形になっているんです。あの成功なかったら日本野外音楽フェス定着するのは、もっとずっと後だったと思います」と話している。本コンサート成功後著名アーティストコンサート多数つま恋」で開かれている。 コンサートが行われた1975年は、フォークブームが頂点達した年で、シングル売上げ年間2位小椋佳提供したシクラメンのかほり』(歌・布施明)、3位小坂恭子想い出まくら』、7位風『22才の別れ』、9位に吉田拓郎提供した我が良き友よ』(歌・かまやつひろし)がランクインアルバムでは井上陽水17週、小椋佳が9週、吉田拓郎が4週、かぐや姫が3週、風が2週と、年間52週のうち、フォーク系アーティスト35週にわたって1位を独占した。ところが翌年以降ポップス系が台頭して日本のミュージックシーンはフォークからニューミュージックへと変貌していく。コンサート最後吉田拓郎の「人間なんて」の、6万人の大合唱迎えた夜明けは、フォークという時代クライマックス意味し、後に始まるニューミュージックJ-POP時代夜明けでもあったといわれる

※この「ライブが日本の音楽界に与えた影響」の解説は、「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」の解説の一部です。
「ライブが日本の音楽界に与えた影響」を含む「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」の記事については、「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ライブが日本の音楽界に与えた影響」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ライブが日本の音楽界に与えた影響」の関連用語

ライブが日本の音楽界に与えた影響のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ライブが日本の音楽界に与えた影響のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS