ユーゴスラビア王国海軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/20 13:31 UTC 版)
「ズマイ (水上機母艦)」の記事における「ユーゴスラビア王国海軍」の解説
水上機母艦としての記録は僅かである。1936年にコトル湾で上下逆さまとなったDo Jを救出した記録が、確認されている。水上機母艦としての活動が僅かであったため、機雷敷設艦に改装されたものと考えられている。改装後は、ピレウス、イスタンブールを駆逐艦ドゥブロヴニク及び潜水艦Hrabri、Smeliと共に訪問している。1939年及び1940年1月に新造駆逐艦リュブリャナがシベニク港で座礁・沈没した際には、旗艦を務めている。ドイツのユーゴスラビア侵攻直前となる1941年4月6日、ダルマチア沿岸一帯及び主要港湾の沖に機雷を敷設したが、この機雷原はシベニク近郊のズラリン島(Zlarin)沖で自国の蒸気船2隻(Karadjordje及びPrestolonaslednik Petar)を失う原因となった。4月10日、イタリア軍第97飛行隊第239中隊のJu 87の攻撃で損傷した。その後の4月17日、スプリトでドイツに接収された。
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