ユークリッド社の売却
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 09:30 UTC 版)
「ユルゲン・シュレンプ」の記事における「ユークリッド社の売却」の解説
退屈なデスクワークに魅力を感じなかったシュレンプは本社勤務は断っていたが、1982年から1984年にかけ、当時ダイムラー・ベンツの傘下企業だった北米のユークリッド・トラックス(英語版)の再編を命じられ、一時的に同社に出向するためアメリカ合衆国に赴任した。 業績不振のユークリッド社の立て直しを期待されての赴任だったが、シュレンプは同社を1年ほど経営してみて「ここに再建すべきものはない」と結論し、充分な利益の出る価格で競合企業のクラーク社(英語版)に売却してしまうことで、ユークリッド社の問題を解決した。 ユークリッド社は1982年当時のダイムラー・ベンツ本社の取締役会会長(最高経営責任者)であるゲルハルト・プリンツがかつて買収を手がけた会社で、その立て直しはプリンツにとって最大の課題だった。そうした背景を持つため、ユークリッド社を売却するという提案はシュレンプにとっては将来の出世を危うくする危険のあるものだった。シュレンプはプリンツの説得に成功し、売却に伴う一連の交渉でシュレンプが見せた手腕はプリンツとその後任であるヴェルナー・ブライトシュベルトにシュレンプの存在を強く印象付けた。
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